「終戦の日を持って、日本は生まれ変わった」かのように僕たちは教えられてきたが、それは嘘だと思う。
戦前、戦中の日本人は今の僕たちと同じような人たちだったはず。
今と昔では価値観には多少の違いがあるだろうが、同じような倫理観、感性、性格、つまり「日本人特有のまじめさ」を備えていた人たちだったはずだ。
大東亜戦争が国家として大きな試練であったとしても、国民性というものはそう簡単には変えられない。なぜなら、歴史と文化、習慣に裏付けられたものが国民性であるからだ。
戦前は軍国主義であり、旧日本軍は悪逆の限りを尽くしてきたかの様に教えられ、報道され、映画などで描かれてきたが、それもどうかと思う。陸軍大臣や海軍大臣は現役軍人という縛りはあったが、軍部がクーデターを起こして政権を奪取した訳ではない。クーデターは複数回あったが、成功していない。対米英開戦時の首相、東条英機元陸軍大将は元軍人であって、現役軍人ではなく、また権力を軍事力を用いて奪取したのではなく、天皇陛下から首相として親任されている。
戦前も今ほど自由ではないかもしれないが選挙は有った。日本は戦前から民主国家であったはずだ。
日本帝国陸海軍は、世界に誇れる統制のとれた軍隊であった。西欧諸国に追いつき、一流の国として認められるには、軍隊の規律が正しくなければ、どうにもならない。盗賊や匪賊の集まりのシナの軍隊とは、まったく違っていた。帝国陸軍は、進駐した先の民衆から奪うのではなく、食料等を与え、治安を確保した。今の僕たちが教えられ、小説や映画などで描かれるのとは、まったく違っていた。
戦争中の日本を貶めるのは、進駐軍が始め、中共・朝鮮と反日日本人が引き継ぎ拡大している、アンチ日本運動の一環だと、最近ようやく気付いた。
僕たちはこの嘘の印象付けに、生まれたころから曝されている。
特にここ最近は、シナ資本による外国メディアへの投資の影響で、ハリウッドやアジアの映画・テレビドラマで、旧日本軍を貶める描写が増えてきたように思える。
しかし、自虐史観から覚醒し、太古から延々と続く日本人の伝統を受け継ぐ者であると自覚し、かつ戦前・戦中の父祖と自分たちとのつながりを意識することで、そのような印象操作による影響から脱し、事実に近づくことができる。
戦前・戦中の日本人が、あたかも自分たちとは異なる野蛮人、残虐な人々と考え、自分たちは彼らとは違うから、彼らの犯した(とシナコリが宣伝している)罪から逃れられる、と考えるのは間違いである。
戦前・戦中の日本人と僕たちはつながっている。同じである。そして、もし仮に、彼らが犯した誤りがあるというなら、それは戦争に負けたことである。
大東亜戦争を戦った父祖と僕たちは同じ日本人である。
補足:
脈々と続く日本の伝統を体現なさっているのは、皇室である。皇室は即ち、日本の伝統であり、綿々と受け継いできた日本の伝統に関することを、現代的な感性で判断してはならない。国連や外国人が口をさしはさむことではない。女性宮家も女系天皇も、日本の伝統に反することであり、議論する事すら憚られるものである。
自虐史観から覚醒し、自分たちの歴史を取り戻すことにより、ようやくこういったことが判るようになってきた。
僕たちの世代は、自虐史観から覚醒し、日本の本当の歴史と伝統を取り戻し、それを子供たちに受け継ぐ事が責務であると、昨今、思うようになった。
おかしな日本を上の世代から受け継いだので、まともに直して引き継ごう、という事で、迷惑な話であるが、仕方のない話でもある。
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