Daily Life of Working Dad Oversea

Tuesday, September 24, 2019

Subhas Chandra Bose Museum III


その2より。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

チャンドラ・ボース博物館では、階段の踊場など目に付く場所に、彼の有名な写真が印象的に掲示されています。一枚目は、マハトマ・ガンジーとチャンドラ・ボースです。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

インド独立に関する展示室の手前には、大東亜会議(東京会議、Tokyo Conferrence)の集合写真が誇らしげに展示されています。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

その集合写真の中央に座っているのは、当時の東條英機首相です。インドでは、東條さんの扱いが違うようです。
すぐにA級戦犯と騒ぐ国々や人々がいますが、東條さんをA級戦犯と考えていたら、この写真をこのような誇らしげな、インドの独立を記念する場所には掲げないですよね。
と言うか、既に全ての戦犯とされた人は、当時の連合国の了解の許、日本の国会で赦免されています。
インドは歴史を正当に評価しています。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

階段の吹き抜けにも、チャンドラ・ボースの写真が掲げられています。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

東京で開かれた大東亜会議で演説をするチャンドラ・ボース。階段の踊場に掲示されています。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

日本軍占領下のシンガポールで、インド国民軍を閲兵するチャンドラ・ボース。同様に、階段の踊場に掲示されています。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

最後は、大日本帝国海軍より移譲された、アンダマン諸島で演説するチャンドラ・ボース。
展示室の入り口に掲示されていたと思います。

他にも数枚、踊場での印象的な展示がありますが、半数以上が日本との関わりで撮影されたものと思います。

これらの展示からも、インド独立に貢献した日本の役割への、インドの肯定的な評価を見ることができます。

レッド・フォート Red Fort

世界遺産のレッド・フォートを訪れる日本人は多いでしょうが、そこにチャンドラ・ボース博物館があり、インドの独立に対する日本の貢献がその展示から体感できるとは、あまり知られていないと思います。
インドの首都、ニューデリーを訪れる事が有れば、是非レッド・フォートを訪問し、チャンドラ・ボース博物館を訪ねて下さい。
失われていた大事なものを、取り戻せると思います。

戦前の大日本帝国は、学校で教えられるような軍国主義の好戦的な野蛮な国ではなく、僕たちと同じように大人しく控えめで、そして優しい日本人が自らの自衛のために戦い、そしてアジア諸国の独立のために戦った国であることを認識することは、自虐史観により汚名を着せられた父祖との和解であり、また日本人の持つ自信の礎ともなります。自信を取り戻した僕たちは、日本や世界を良い方向に変えてゆく力を持ちます。
東アジアの特定の国々からの因縁や戯言など、文字通り一蹴することが出来ます。

旭日旗・護衛艦いずも

旭日旗、Rising Sun Flag は、我が国の準国旗であり、我が海上自衛隊の旗であると同時に、インドの実例で見た通り、欧米列強の植民地支配からアジア諸国を解放した、アジア独立の旗でもあります。
誇りをもって掲げましょう。

Subhas Chandra Bose Museum II


その1より)

アンダマン諸島で、自由インド仮政府を樹立し、三色旗を掲げたチャンドラ・ボースは、いよいよ祖国解放の戦いを始めます。
そのチャンドラ・ボースの祖国解放を、日本が真剣に支援した事は、チャンドラ・ボース博物館に掲げられている彼の声明に読み取れます。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

「我々の血でデリーへの道を開くのは、真摯な助力を与えてくれた日本に報いる唯一の道である」

上の言葉が、アンダマン諸島の展示に大書されています。
そしてその言葉が、インド独立の英雄である、チャンドラ・ボースの博物館を訪れるインドの人々の目に、毎日触れるのです。大英帝国による圧政からインドを救おうとした日本の支援を、インドは忘れてはいませんし、それは彼らの日本に対する認識の基礎となっています。
日本人も記憶するべき、子供に教えるべきではないでしょうか?
忘れてはいけないのは、この博物館は印度国営で、安倍首相と仲の良いモディ首相の手で、開館の栄誉が与えられた事です。
つまり、この博物館の展示は、インドの公式見解なのです。


そして、インパール作戦が始まります。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum


「インドが呼んでいる。
血は血を呼んでいる。
立ち上がれ、無駄にする時間はない。
武器を取れ。
敵軍を切り裂き、我々の道を開こう。
或いは、もし神がそう望むなら、我々はインドに殉じ、命を捧げ、わが軍をデリーに至らしめる道に口づけし、最後の眠りにつくだろう。」

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum


当初は破竹の快進撃を続けましたが、英印軍の補給所の奪取に失敗し、結果は惨敗に終わります。
日本では補給を軽視した大失敗の作戦とされるインパール作戦ですが、その糊塗された悪評には、こういった大日本帝国によるインド独立への貢献を覆い隠す意図があるように思えます。

そして、運命の終戦を迎えます。

昭和20年8月15日の終戦後、8月18日にチャンドラ・ボースは台湾での飛行機事故で亡くなります。ソ連の協力を得る為に、満州へ渡る予定であった、とも言われますが、良く判りません。

終戦後、前述の通り、大英帝国はインド国民軍(INA)に参加した士官、兵士を裁判にかけ、イギリス国王への反逆の罪で極刑を言い渡します。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

その裁判はレッド・フォートで行われ、判決もレッド・フォートで言い渡されました。昭和20年11月の事です。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum


この判決に怒り狂ったインドの民衆が、インド各地で一斉に立ち上がり、大規模な抗議行動が発生しました。この抗議のあまりの凄まじさに、大英帝国は遂に、インドの放棄を決定します。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

画して、1947(昭和22)年8月15日に、インドは独立を果たします。
反逆罪に問われたインド国民軍の士官と兵士も、無事に釈放されました。

ここに、当時のインドの人々にとっては何時になるのか検討も付かなかった、遠い遠い将来のことと思われたインドの独立が、大東亜戦争戦争終戦後、僅か2年で達成され、そしてそれは、アジア諸国の独立の嚆矢となりました。

独立を諦めずに行動を起こし、その身を殉じたチャンドラ・ボースがいたからこそ、インドが独立を勝ち得た事をインド人は良く知っています。
今だにチャンドラ・ボースの人気は非常に高く、「チャンドラ・ボースは生きている(いた)」という類の本が、何度でもベストセラーになり、それに併せてか、彼の死を巡るインド政府の公式調査も、これまでに何度となく行われています。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

そして、インドの独立の為に戦ったインド国民軍(INA)と共に、大日本帝国陸海軍が戦った事を、インドという国が存続する限り、彼らは語り継いでくれると思います。
日本とインドの友情は、僕たちの父祖の血と汗で、礎が築かれているのです。
だからこそ、日本でも教えるべきですし、再評価されるべきです。僕はそう思いつつ、インド独立の地を後にしたのでした。

つづく

Monday, September 23, 2019

Subhas Chandra Bose Museum I


レッド・フォート Red Fort

インドの首都ニューデリーにほど近い、オールドデリー地区に、レッドフォートという世界遺産があります。
レッドフォート、実はインドが大英帝国から独立する発端となった裁判が開かれたところです。そしてその裁判の背景には、大日本帝国が関わっていました。

僕たち日本人は、インドの独立はマハトマ・ガンジーの非暴力主義によって達成されたかのように教えられましたが、それは大嘘です。
インドの独立は、武力闘争の末に勝ち取ったものであり、その武力闘争を大日本帝国が支援していました。
その武力闘争を指導したのが、スバス・チャンドラ・ボース。
マハトマ・ガンジーはインドの国父であり、インドで尊敬されていますが、祖国の独立に殉じたスバス・チャンドラ・ボースは、マハトマ・ガンジーに劣らない人気があります。

2019年1月、インドの共和国記念日(1/26)を前にして、インドのモディ首相により、スバス・チャンドラ・ボース博物館が、レッドフォートに開館しました。

レッド・フォート Red Fort


僕たち日本人にとって、過小評価どころか、正反対の汚名を着せられた僕たちの父祖の名誉を取り戻す過程において、チャンドラ・ボース博物館の訪問は、非常に大きな意味を持ちます。

日本では殆ど教えられませんが、大日本帝国はインドの独立を支援し、大日本帝国が敗れた後、インドは独立を達成しました。その過程が、チャンドラ・ボース博物館では明確に展示されており、インドの人々は今日もまた、その展示を見ています。
日本では教えられないことが、インドでは政府公認の元に世界遺産の一角を占める博物館で、国民に広く教えられています。
この点は、僕たち日本人が今すぐに改善するべきところです。
つまり、インド人はインドの独立に大日本帝国が関わったことを、みんな知っています。日本人がそれを知らないのは、恥というよりも、恩義を覚えてくれているインドに対して失礼です。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

博物館に入るとすぐに、この新聞が掲げられています。

レッドフォートにおいて行われた裁判において、インド国民軍に参加した士官に対して極刑が言い渡されたことを報じる新聞です。罪状はイギリス国王への反逆。当時はまだ、インドは大英帝国の植民地でした。
インド国民軍(INA)は、チャンドラ・ボースが組織した自由インド仮政府の軍隊で、母体はシンガポールなどで大日本帝国陸海軍に降伏した英印軍の士官兵士により構成されていました。
インド国民軍は、祖国インドの解放の為、大日本帝国陸軍と共に、ビルマを発しインド領に向かいます。これは日本では酷評されているインパール作戦です。インパール作戦は、周知のとおり失敗し、その数か月後、日本は終戦を受け入れます。
そして、インド国民軍の士官兵士は、イギリス国王への反逆の罪で裁判に掛けられました。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

この三人のINA士官に対し、レッドフォートで開かれた軍事法廷で言い渡された反逆罪に反発したインド国民が、インド国中で抗議行動を起こします。
そのあまりにもすさまじい規模に対して、大英帝国は鎮圧の術を知らず、インドの独立を認めます。
そしてインドは、大東亜戦争終結の僅か2年後、1947年8月15日に、大英帝国から独立します。8月15日はインドの独立記念日です。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

こちらは、INA兵士が身に着けていたバッジです。
日章旗と、自由インド仮政府の旗(マハトマ・ガンジーのインド国民会議の旗でもあります)が描かれています。このインドの旗は、中心の糸車の模様が仏教のダルマを意味する文様に変わって、今のインド国旗となっています。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

日本政府の発行したルピー紙幣です。インパール作戦の占領地で使われたそうです。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

インド国民軍の兵士の持っていた短刀や徽章ですね。短刀や徽章の日本語など、日本との深いつながりを見ることが出来ます。


チャンドラ・ボースは、インドの独立の為には大英帝国の敵と結ぶしかないと考え、当初はドイツに渡ります。しかし、当時のドイツはチャンドラ・ボースに対して支援を与えませんでした。
博物館には彼の生い立ちからドイツに至るまでの展示もありますが、その部分は僕もしっかり見ていませんでしたので、割愛します。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

ドイツからの支援は得られないと悟ったチャンドラ・ボースは、日本に向かいます。
しかし戦争中なので、容易には日本には行けません。そこで彼は、ドイツの船と大日本帝国海軍の潜水艦を乗り継いで、東南アジア経由で日本に向かいます。

ドイツ船から日本の潜水艦に乗り継ぐ際、海はとても荒れていました。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

大波が荒れ狂う洋上で、日本の潜水艦とのランデブーに、後一歩のところまで近づいたドイツ船の船長が、余りの波の高さに、チャンドラボースに対して、移乗は無理だと告げます。
そこでチャンドラ・ボースはこう宣言し、小さなゴムボートに飛び乗り、日本の潜水艦が浮上する荒海に漕ぎだします。
「私はここまではるばる、引き返すために来たのでは無い」

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

チャンドラ・ボースは、日本により欧米の植民地支配から解放されたアジア諸国の首脳とともに、東京で開かれた大東亜会議(東京会議、Tokyo Conferrence)に出席し、欧米列強による植民地支配に対するアジアの戦いを宣言します。

スパス・チャンドラ・ボース博物館 Subhas Chandra Bose Museum

そして彼は、大日本帝国海軍が大英帝国から奪還した現インド領アンダマン諸島において、自由インド仮政府の樹立を宣言します。
ベンガル湾の島々に、今のインド国旗とほぼ同じデザインの三色旗が翻り、インド独立への戦いが始まりました。
昭和18年、1943年の事です。

つづく


Sunday, September 22, 2019

Discrimination Fraud?


靖国神社の桜、平成31年卯月、Sakura at Yasukuni Shrine, April 2019

どうも最近、元大阪市長の橋下さんや、東大教授(?)の上野さんなど、差別を絶対悪とする論旨を展開する有名人が多いような気がする。
というか、前からそうだったかもしれない。

曰く、「差別された人に寄り添うと、差別は許せない」、「差別された痛みを感じた事が有るのか」、「差別で受けた傷は一生の傷」などなど。まぁ正確にこんな風に言っていたかどうかは、判らない。

確かに、本人が努力しても変えられない属性に由来する、いわれのない差別は良くない。
しかし、差別は絶対悪だろうか?
そんなことはない。

差別より悪いことは沢山ある。
殺人や放火、強姦や強盗など、当然の犯罪はさておき、例えば、他人の土地に来てここは自分の土地と主張したり、外国にいるにも拘らず、その土地の人以上の権益を主張したり、その土地の人たちを搾取したりすることは、差別以上に悪い事だろう。


それに、外国人が日本で差別されるのが嫌なら、なぜ母国に帰らないのだろうか?と素直に疑問に感じてしまう。(こんなことを書くとヘイトスピーチと言われそうだが、僕は疑問を呈しているだけであって、「帰れ」とは言っていない。)

一部の外国人は、ここ日本で、自分たちの流儀を押し付けようとし、自分たちがやりたいように振る舞い、そして日本人と同様の権利を主張する。それにも飽き足らず、あろうことか日本人以上の利権を主張し、日本人から搾取する。そんなことをすれば、当然、日本人から反発を受ける。その反発を、彼らは「差別だ!」と言うのである。

外国人が日本人と同様の権利を日本で主張した上で、日本の文化・考え方・流儀・生活様式を踏みにじり、自らの文化・考え方・流儀・生活様式を日本人に押し付けることなど、許容できるだろうか?
そんなことは許容されるわけがない。

しかし、「差別」というマジックワードで、彼らは日本人と同等の権利を有したうえで、日本人以上の利得も有している。日本の文化を尊重せず、日本人の考え方を顧みず、自らの価値観を押し付け、主張している。それらの許しがたい振る舞いを、「差別」、「人権」、「ハラスメント」というキーワードで正当化しようとしている。

「差別されて傷ついた」
「人権が~」
「ハラスメントを受けた」
これらは、弱者の振りをして、日本人を攻撃し、自らの利得を得るための方便に過ぎない。
つまり、「差別」、「人権」、「ハラスメント」というのは、一部の外国人が日本人の権利を侵し、自分たちに権益を寄越せと主張する、そのためのマジックワードであるに過ぎない。

お人好しの日本人は、まんまとそれに騙されてきた。
そしてあろうことか、外国人に利する法律まで作ってしまった。

Navy Day at Yokosuka Base

しかしながら、それももう終わりである。
少なくない日本人は目覚めてしまったし、どんどん目覚めている。

彼らの言う「差別」は、「差別」を騙った「たかり」であり「詐欺」である。
差別されるのが嫌なら、差別されない所に行けば良い。ただそれだけであり、日本において日本人が譲歩する必要性など、全くないのである。

差別を最も解決するべき問題として論旨を展開する有名人や論客には注意した方が良い。
彼らは、日本人の権利を害し、日本を乗っ取ろうとする一部の外国人の手先であると、よくよく理解するべきである。

Sunday, February 24, 2019

Commemoration of the Thirties Anniversary of His Majesty the Emperor’s Accession to the Throne


天皇陛下御在位三十年を、謹んでお祝い申し上げます。
Commemoration of the Thirties Anniversary of His Majesty the Emperor’s Accession to the Throne.

Our National Flag, Hinomal

靖国神社にて。

天皇陛下御在位三十年記念式典

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