
インドの首都ニューデリーにほど近い、オールドデリー地区に、レッドフォートという世界遺産があります。
レッドフォート、実はインドが大英帝国から独立する発端となった裁判が開かれたところです。そしてその裁判の背景には、大日本帝国が関わっていました。
僕たち日本人は、インドの独立はマハトマ・ガンジーの非暴力主義によって達成されたかのように教えられましたが、それは大嘘です。
インドの独立は、武力闘争の末に勝ち取ったものであり、その武力闘争を大日本帝国が支援していました。
その武力闘争を指導したのが、スバス・チャンドラ・ボース。
マハトマ・ガンジーはインドの国父であり、インドで尊敬されていますが、祖国の独立に殉じたスバス・チャンドラ・ボースは、マハトマ・ガンジーに劣らない人気があります。
2019年1月、インドの共和国記念日(1/26)を前にして、インドのモディ首相により、スバス・チャンドラ・ボース博物館が、レッドフォートに開館しました。

僕たち日本人にとって、過小評価どころか、正反対の汚名を着せられた僕たちの父祖の名誉を取り戻す過程において、チャンドラ・ボース博物館の訪問は、非常に大きな意味を持ちます。
日本では殆ど教えられませんが、大日本帝国はインドの独立を支援し、大日本帝国が敗れた後、インドは独立を達成しました。その過程が、チャンドラ・ボース博物館では明確に展示されており、インドの人々は今日もまた、その展示を見ています。
日本では教えられないことが、インドでは政府公認の元に世界遺産の一角を占める博物館で、国民に広く教えられています。
この点は、僕たち日本人が今すぐに改善するべきところです。
つまり、インド人はインドの独立に大日本帝国が関わったことを、みんな知っています。日本人がそれを知らないのは、恥というよりも、恩義を覚えてくれているインドに対して失礼です。

博物館に入るとすぐに、この新聞が掲げられています。
レッドフォートにおいて行われた裁判において、インド国民軍に参加した士官に対して極刑が言い渡されたことを報じる新聞です。罪状はイギリス国王への反逆。当時はまだ、インドは大英帝国の植民地でした。
インド国民軍(INA)は、チャンドラ・ボースが組織した自由インド仮政府の軍隊で、母体はシンガポールなどで大日本帝国陸海軍に降伏した英印軍の士官兵士により構成されていました。
インド国民軍は、祖国インドの解放の為、大日本帝国陸軍と共に、ビルマを発しインド領に向かいます。これは日本では酷評されているインパール作戦です。インパール作戦は、周知のとおり失敗し、その数か月後、日本は終戦を受け入れます。
そして、インド国民軍の士官兵士は、イギリス国王への反逆の罪で裁判に掛けられました。

この三人のINA士官に対し、レッドフォートで開かれた軍事法廷で言い渡された反逆罪に反発したインド国民が、インド国中で抗議行動を起こします。
そのあまりにもすさまじい規模に対して、大英帝国は鎮圧の術を知らず、インドの独立を認めます。
そしてインドは、大東亜戦争終結の僅か2年後、1947年8月15日に、大英帝国から独立します。8月15日はインドの独立記念日です。

こちらは、INA兵士が身に着けていたバッジです。
日章旗と、自由インド仮政府の旗(マハトマ・ガンジーのインド国民会議の旗でもあります)が描かれています。このインドの旗は、中心の糸車の模様が仏教のダルマを意味する文様に変わって、今のインド国旗となっています。

日本政府の発行したルピー紙幣です。インパール作戦の占領地で使われたそうです。

インド国民軍の兵士の持っていた短刀や徽章ですね。短刀や徽章の日本語など、日本との深いつながりを見ることが出来ます。
チャンドラ・ボースは、インドの独立の為には大英帝国の敵と結ぶしかないと考え、当初はドイツに渡ります。しかし、当時のドイツはチャンドラ・ボースに対して支援を与えませんでした。
博物館には彼の生い立ちからドイツに至るまでの展示もありますが、その部分は僕もしっかり見ていませんでしたので、割愛します。

ドイツからの支援は得られないと悟ったチャンドラ・ボースは、日本に向かいます。
しかし戦争中なので、容易には日本には行けません。そこで彼は、ドイツの船と大日本帝国海軍の潜水艦を乗り継いで、東南アジア経由で日本に向かいます。
ドイツ船から日本の潜水艦に乗り継ぐ際、海はとても荒れていました。

大波が荒れ狂う洋上で、日本の潜水艦とのランデブーに、後一歩のところまで近づいたドイツ船の船長が、余りの波の高さに、チャンドラボースに対して、移乗は無理だと告げます。
そこでチャンドラ・ボースはこう宣言し、小さなゴムボートに飛び乗り、日本の潜水艦が浮上する荒海に漕ぎだします。
「私はここまではるばる、引き返すために来たのでは無い」

チャンドラ・ボースは、日本により欧米の植民地支配から解放されたアジア諸国の首脳とともに、東京で開かれた大東亜会議(東京会議、Tokyo Conferrence)に出席し、欧米列強による植民地支配に対するアジアの戦いを宣言します。

そして彼は、大日本帝国海軍が大英帝国から奪還した現インド領アンダマン諸島において、自由インド仮政府の樹立を宣言します。
ベンガル湾の島々に、今のインド国旗とほぼ同じデザインの三色旗が翻り、インド独立への戦いが始まりました。
昭和18年、1943年の事です。
(つづく)
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