一時、流行ったシリア難民の話は、もう片付いたのだろうか?
僕は、あの「シリア難民」を難民とはみなしていない。彼らは間違いなく経済移民だ。
なので、難民保護を理由として彼らを日本に受け入れる、なんてのはとんでもない間違いだ。
まず、彼らが難民であるならば、なぜ近隣諸国がキャンプを設立して、そこで保護しないのだろうか?
彼らを難民にさせている理由が消失したら、彼らは国に帰ればいいのだから、近くの国のキャンプに収容するのが最適解のはずだ。
だが彼らはなぜか、遠くて帰国しづらいヨーロッパを目指す。なぜかというと、難民ではないからだ。
彼らが難民であるならば、同じ民族・宗教をもつアラブ・イスラム諸国が難民を受け入れるべきだが、そういう話はあまり聞こえてこない。
彼らは難民ではなく、豊かさを求めて国を捨てた経済移民だから、豊かさを享受することを期待できないアラブ・イスラム諸国には足が向かない。
なので、シリア難民ではなく、シリア経済移民と呼ぶべきで、経済移民として対応するべき、というのが僕の意見。
それに加えて、日本はいかなる形であれムスリムの定住を受け入れるべきではないと、僕は強く思う。
ムスリムと日本人(日本文化)は相いれない。ムスリム・カントリーに住んで彼らの文化を見た経験に基づいて、僕は強烈にそう思う。
彼らは個を主張する文化で、和を持って尊しとする日本の文化とは正反対であり、穏やかで平和的な共存に価値を置く仏教的な文化とも全く違う。
彼らは基本、自分たちの権利を主張することにのみ専心し、他人の利益を尊重するという心を持たない。なので、街中にいくつもあるモスクから、毎日5回も大音響で礼拝を告げるのだ。他人の迷惑など顧みない、自分がそうしたいからそうする。遠慮と言う言葉は彼らの辞書にはない。
彼らはこれを、ムスリム・カントリー以外でも平気で行っている。ムスリム人口が全体の10~15%を占めるスリランカでも、モスクから礼拝を告げる大音響のアナウンスに煩わされることしきりである。スリランカは世界最古の仏教国である。にもかかわらず、ムスリムはお構いなしだ。彼らは既得権益を声高に主張する。モスクから大音量で礼拝を告げるのは、ムスリムの権利だと言わばかりに。その対抗かどうか知らないが仏教徒も、朝の5時半からお経を大音量で流す。迷惑なのは普通の人たちだ。
日本でこそムスリムは大人しくしているが、彼らの数が増えたらどうなるだろう?
早朝に、モスクから大音量で流れる礼拝を告げるアナウンスに、眠りを邪魔されることになるだろうし、街中に上から下まで黒づくめの不気味な女性が闊歩するようになるだろうし、レストランでは豚肉を使った料理が出せなくなるだろうし、ラーメン屋は廃業必至だろう。豚骨を茹でたスープから立ち上る湯気で、自分の吸った空気が汚れて不浄になったから、謝罪して賠償しろと、彼らは言うだろう。彼らはマイノリティーであっても自分たちの権利を声高に主張するし、政治家に取り入ってムスリムだけに特別の権利を認めさせるようなことを平気で行う。恥とか卑怯とかいう概念は彼らには無い。
彼らは、彼らだけのムスリム・タウンを作ってしまうと、土地の人たちはそこでは商売ができなくなる。モスクを中心として、山羊ひげを生やした男性が闊歩し、黒服頭巾の女性が垣間見えるという地区が、日本の街中に出てきてしまう、と言う事だ。
そうなってしまう日本を、皆さんは受け入れられるだろうか?
ムスリムは日本の伝統や文化を尊重しない。彼らにとってはイスラム教が至上であり、イスラム文化が尊重するべきことであり、他の文化はイスラム文化に置き換えられるべきものだからだ。
ムスリムを受け入れると言うのは、コリア・チャイナに次ぐ第三の在日を受け入れる、と言う事だ。
実際、ムスリム(特にアラブ)とチャイナ・コリアには驚くほど共通点がある。約束を守らない。自分のことしか考えない。卑怯なことを平気でする。嘘つき。自己の主張のみ声高で唱え、他者と協調しない。自分が利益を得るためなら、他人をだましたり傷つけたりしても良い。騙される方が悪い。賄賂まみれ、などなど。チャイナとビジネスしたくない人は沢山いるだろうが、ムスリム(特にアラブ)とビジネスしたくない人も、ものすごくたくさんいると思うよ。
なので、ムスリムを受け入れるってことは、厄介事を国内に持ち込んで培養するのに等しい。
厄介事を国内に持ち込んで培養したのが、今のヨーロッパ諸国。特にフランス・ベルギーではテロの多発という事で被害が顕在化している。
日本であのようなテロが起きて欲しい人はいるだろうか?
テロリストにおびえながら日本で暮らすのが嫌なら、ムスリム移民の受け入れには断固反対した方がいい。
そもそも、外国人に定住許可を与えることからして、日本は間違っていると思う。
外国人は居住ビザの申請・交付を受けて、それを更新しながら居住するのが普通で、永住許可なんてむやみに与えるものではない。
国民と外国人の境目は、日本人が一般にイメージしているものよりも、はるかに厳然としているのが世界標準。外国では、外国人は簡単に土地を買えないし、会社設立にも困難が伴う。税金もがっつり持っていかれる。外国人に対する優遇措置なんてものは無いのが普通で、逆に色んな権利が制限されるのが一般的。
外国人に生活保護を与えたり、年金の掛け金を払っていないのに年金を払うなんてことは、ほぼありえない話。困った外国人は母国に帰りなさい、が世界的には普通だし、そもそも外国人がその国で働こうと思ったら、特別な許可がいるのが普通。仮に配偶者がその国の人であっても、外国で働くのにはさらに特別や許可が必要で、そういう許可はたいてい取得するのがものすごく大変。
日本は外国人に甘すぎる。
ある程度の長期間、外国に居住したり、外国で働いたりした経験から、僕は外国人の定住には反対。
既に与えた定住許可(永住許可かな?)はすべて白紙に戻すべきだと思う。
日本に定住する必要のある人は、帰化すればいいはずだ。定住する必要のない人は、ある程度の期間の居住ビザを与えればいい。日本に定住する必要のある外国人なんて、そんなにいないはずだ。
外国人労働者を受け入れるなら、移民ではなくあくまで期間限定の出稼ぎとし、定住させないべきだ。定住されると、ただでさえ厄介な高齢化問題がさらに厄介になる。出稼ぎを受け入れるなら、受け入れは女性や夫婦に限るべきだ。フランスはアルジェリア人女性の渡航を受け入れているが、アルジェリア人男性はフランスには渡航できない。就業を許可されたアルジェリア人女性の夫で無いと、フランスには渡航できない。理由は推して知るべし。
もし外国人が帰化を希望するなら、日本に帰化する以上、もとの国にではなく日本に忠誠を誓い、日本文化に溶け込むことを誓約するべきだと思うし、帰化条件は厳格化し厳しく適用されるべきだ。
日本にいながら、日本に溶け込もうとせず元の祖国への忠誠を保ち日本に害をなすような連中に、定住許可を与える必要はない。日本に帰化した人にしても、日本ではなく元の祖国の利益のために働くなら、帰化を取り消すべきだ。
昨今の日本は国際化が進んだと喜んでいる人がいるかもしれないが、今の状態では侵略・浸食されているにすぎない。
ムスリム移民の受け入れは、今の状況を悪化させるのみなので、受け入れるべきではない。
シリア難民(ムスリム移民)の子供を日本で教育しては?などと能天気な事を、国会で安部さんに提案していた公明党の議員がいたが、そんなことが日本人に受け入れられないのは、これまでに書いた事で判ってもらえると思う。子供を連れてきたら親も当然ついてきて、居着かれてしまうよね。ひょっとして、公明党はイスラム移民に居着いて欲しいのかな?僕とは考え方が合わないみたいです。
今回の写真は EM-5 + ZD 50mm Macro の仕業で日本で撮ったもの。中古で手に入れた ZD 50mm Macro、神レンズと言われるだけのことはあります。
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