神戸の震災から21年目の今日にこういう投稿をするのは、何かの縁だろう。
2011年の東日本大震災の時は日本におらず、インターネット越し、あるいはテレビ越しに日本の状況を知ることとなった。それでも、圧倒的な津波の破壊力とおびただしい数の死者に、ネット越しとはいえ、その当時の僕は圧倒された。
東日本大震災でもっとも大きな被害を及ぼしたのは、疑い無く津波である。その次が地震動による被害だろう。
しかし、東日本大震災と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、原発事故ではないだろうか?
原発事故には直接の死者が一人もいないにも拘らず、なぜ、3・11≒原発事故なのか?
マス・メディアが原発ばかりをクローズ・アップしたせいではないか?
あるいは、反原発の人たちが、嘘・デマをネットやメディアで流しまくったせいではないか?
震災後、ある程度の時間を経て以降、3・11≒原発事故になってしまったおかげで、僕はあることに気付いた。
目が覚めた、と言ってもいいだろう。
原発事故当初こそ、反原発の主張にはひかれるところがあった。しかし、原発事故が発生したからこそ、半ば脅すように過剰な避難を勧めるデマや、放射線の被害をあおる嘘に対して、「それは間違っている」という人たちが現れ、一つ一つ、反原発の嘘やデマをつぶしていった。僕はネット上でその様子を目の当たりにして、原発に対する危険神話に僕たちが毒されていたことに気がついた。それが最初の気付きだった。
反原発の人たちは目的があって、原発に対する嘘やデマを広めて、日本中の原発を止めようとしていた(いる)と、僕は理解するようになった。何のために、だれの利益のために、というのが次に浮かんだ疑問だった。
反原発デマの後、僕がネットで目にしたのは、確か在日特権に反対するデマに対する嫌がらせだったように思う。在特会を攻撃する発言を twitter でしているのは、反原発の人たちだった。この時点で、反原発=在日擁護=日本の敵という具合に、僕の中で繋がった。となると、反原発が何のために日本中の原発を止めようとしているか、という問いにも答えが出た。
日本を弱体化するためだ。
なぜ、太平洋戦争=大東亜戦争が起きたのか?
石油を止められたからだ。日本はエネルギー資源が無いため、エネルギーの輸入を止められたら干上がってしまう。石油の輸入を止められたから、戦争を選ばざるを得なかった。
だからこそ、戦後の日本は原子力発電を進めてきた。
ところが、日本の敵の皆さんは、日本になるだけ弱体化してほしい。だから原発に反対して、原発を止めさせて、日本の輸入エネルギー依存度を高めようとしているわけだ。安価な原子力による電力供給が減れば、日本の国際競争力も低下する。何のことはない、日本の敵国のために、反原発の皆さんは一生懸命働いているわけだ。
次に反原発の皆さんが、反原発以外の主張をしているのを目にしたのは、沖縄・普天間基地移設の問題だった。
反原発の皆さんが、辺野古移転反対を訴えているわけだ。
これで、反原発=在日擁護=米軍基地反対=日本の敵、という図式がさらに強固となった。
沖縄の海兵隊基地・米軍基地が無くなって喜ぶのは一体誰か?日本とアメリカ以外のどこかの国だろう。
その外国勢力のために、反原発の皆さんは一生懸命、働いているわけだ。
しかも、反原発の皆さんは、慰安婦問題で日本が謝罪するべきだと主張している人たちと繋がっているし、南京虐殺が歴史の事実だと言っている人たちとも繋がっているということも、どんどん判ってきた。
とどめは、反原発の皆さんは、昨年2015年の夏、安保反対デモで大騒ぎしていた人たち、徴兵されるとデマを流しまくった人たちと同一、もしくは繋がっていると言う事も判ってしまい、以下の図式が強力にその正当性を主張し始めた。
反原発=在日擁護=米軍基地反対=慰安婦の嘘を擁護=南京虐殺の嘘を擁護=強制連行の嘘を擁護=難民受け入れ賛成=沖縄独立推進=安保法案反対=日本人の敵
なんてことはない。
反原発も、在日をはじめとした弱者擁護、人の良い日本人の良心につけ込む弱者擁護も、慰安婦の嘘を助長したのも、南京虐殺の嘘を広めたのも、強制連行の石碑を日本中に作りまくったのも、テロリストを擁護し政府を攻撃するのも、難民の受け入れを主張するのも、沖縄の独立を主張するのも、自衛隊を敵視し、日本の安全保障を妨害するのも、すべて日本人の敵に対する支援行動だったわけだ。
僕たちはそれにずっと騙されてきた。
騙されたと判った以上、もう騙されないが、騙されたことに対しては、はらわたが煮えくりかえるほど腹が立っている。
そもそも、僕たちが学校で学んできた歴史自体が、ねつ造されまくりの嘘だらけだったのだ。僕たちはシステマティックに騙されてきたわけだし、良心につけ込まれてきたわけだ。
最近、色んな本を読んだり、一次資料にあたったりしているが、僕の中では色んな事がクリアーになって来ている。
僕たちは、戦前の日本はひどい国だったと教えられてきたが、本当にそうだろうか。
戦争の前と後で、日本人という人種がそんなに簡単に変われるだろうか?
日本兵が残虐行為をしたり、日本軍が侵略したと教えられてきたが、自分たちと同じような文化と性格を持っていたはずの僕たちの父祖が、そんな残虐な事をしたり、侵略戦争を率先して起こそうとしたりすると、信じられるだろうか。
しかし、これまで僕たちはそう教えられてきて、その考えになんの疑問も持たなかった。でも、それは誤りだった。
僕の小学校の先生は沖縄戦の生き残りだった。つまり日本兵だった。でもその先生はやさしくて、思いやりのある、普通の日本人だった。僕の祖父や曾祖父を僕は知らないが、僕と同じような人間だったに違いないし、残虐な事をしたり、人のものを奪ったり、侵略したりするようなことを忌み嫌っていただろうことぐらいは判る。
つまり、僕たちの父祖は僕たちと同じような人たちで、僕たちと戦争前の人たちとの間には断絶は無く、繋がっているはずだ。
だから、戦争前の日本は悪で、今の日本は良いという考え方に、僕たちは疑問を持つべきなのだ。
自分の親の悪口を言う人を、尊敬する気になるだろうか?
いや、そのような人たちは軽蔑されるだろう。世界中どの国であっても。
そして、その軽蔑するべき人たちに、今の日本人は自分では意図せずになってしまっている。
このことに、僕たちは気づくべきであり、速やかに直すべきだと、僕は確信している。
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