投稿のタイトルは投稿内容と関係なくても良いという「パラダイムシフト」を先ほど学んだので、こういうタイトルをつけた次第。
もともと、用事や目的がないと旅行しないたちなので、「放浪」とか「流浪」という生き方は無縁のものだと思っていたのだけど、どうやら最近は、自分を「旅がらす」と呼んでも差し支えないような日々を送っているような気がする。
もちろん、海外で仕事をするのは僕の「夢」の一つであったので、「旅がらす」であることに不満はそれほどない。
しかし、自分の人生に不可欠のものが、今の僕には満たされていない。
ここで、前の文章を訂正させていただくと、「海外で仕事をするのは僕の「夢」の一つであった」というのは、正確ではない。
「海外で仕事をしながら、子供たちに世界を見せるのが僕の「夢」の一つである」という方が正しい。
「会社と家族と、どちらが大事か?」という問いには、脊髄反射で「家族」と答える僕は、今の状況には満たされないものを感じている。
ここで、「日常」という物について考えてみると、僕にとっての現在の「日常」は、旅そのものと化してしまった。
いくら長い期間、同じ国にいたとしても、それは旅の途中である。
ホテルや宿舎を仮の住まいとし、肌の色や目の色が違う人たちと過ごし、しゃべりなれない言葉を使ってあごの筋肉を引き攣らせ、異国の食事で腹を満たす日々が、今の僕の「日常」である。
それに反して、日本に帰って家族と過ごす日々は「非日常」になってしまっている。
家族と過ごすのが「日常」であるべきなのが、今の僕には「非日常」と化し、通常は「非日常」であるはずの旅が、僕の「日常」になっている。
それが、僕が満たされていないと感じることへの、端的な説明になるのではないだろうか。
ただしこれは、極めて内的な問題であって、外的なものではない。
いつの日か、満たされることを、僕は知っている。
僕は極めてわがままな人間なので、「満たされていない状態」でいることを続ける自分に対しては、全く我慢ができないし、それを解消するための努力は惜しまない。
その連鎖が、今の自分を作っていることを、僕はよく知っている。
と、ここまで来てようやく、タイトルと投稿を結びつけるオチを見つけた。
旅人は、電気アンカの夢をみると思う。
たとえ灼熱の砂漠や、蒸し暑い熱帯を旅していても、「温かさ」対する憧憬は、旅人の心を離さないのではないだろうか?
などと、考えてしまうエチオピアの夜でした。
:)
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