今日気づいたんだけど、ハノイに来てから、beggar を見ていない。
見ていないだけで、いるのかもしれないけど、少なくともメインストリートで待ちうけている、ということはないらしい。
アルジェリアでは、道端に普通に物乞いがいた。
ムスリムの国なので、貧しい人に恵む(ザカートというらしい)のはイスラム教徒の義務とみなされているらしく、普通の人が普通にお金を恵んでいた。
僕も、しばしば、パン屋の前に座っている物乞いのおばさんにお金をあげて、投げキスを返されたりした。
まぁ、そんなお礼はいらないけど。
ウガンダでは目立たなかったけど、不自由な人が道端に座り込んで物乞いをしているのを見た覚えがある。
エチオピアでは、去年の夏には道路にたくさん物乞いがいて、信号待ちの車のすぐそばまできて(危ない)、フロントグラスをたたいて「恵んでくれ」とせがんできたので、当時のボスの発案でドライバーに小銭を渡しておいて、しばしば恵んだんだけど、エチオピアの道交法が改正されて恵んだ方も罰せられることになってから、すっかり見かけなくなったみたい。
でも生計を断たれた物乞いが犯罪に走らないかと心配されているとのこと。
ハノイでは、まとわりついてくる売り子はいるけど、物乞いは見かけない。
全体的に豊かだからなのか?
共産主義国だからなのか?
良く判らないけどね(アルジェリアも共産主義だね、国の名前だけから判断すると)。
そういえば、こないだ twitter で知ったんだけど、上海あたりでは最近はローカルの方が日本人よりも待遇がいいらしい。
もちろん、それなりに優秀な人の話なんだろうけどね。日本人以上の待遇でないと、管理職が見つからないらしいよ。。。
そのうち日本でモノを作った方が安上がりになるかもね?
時代は動いているんだなぁ、と思う次第。
日本人である、と言うだけでお金持ちの時代はもうすぐ終わりかもしれないね。
新興国の需要が日本の製造業の業績を上げているそうだし、これはどうやらパラダイムシフトの時代なのかな?
何を指針とするか見えない時代だけど、毎日毎日、いい仕事をするように心がけて、自分を少しずつ磨いていけば、楽観しても良いんじゃないかな、と僕は思うな。
ここシリコンバレーにも物乞いが交差点に立っていて、車が止まるとHomelessのサインボードをかざして金銭を無心されることがありますが、その中に若い人も混じっているのには驚かされます。しかし、本当に乞食なのかどうか、どうも怪しい人々も多いです。
ReplyDelete付加価値を生まない人々は、グローバル化の中で益々苦しい境遇に沈んでいくのでしょうね。以下、僕の好きな講演会の動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=bMjdqJrujxE
海坊主さま。
ReplyDelete返信、遅くなりました。
僕も、グローバル化の渦の中で、普遍的な日本人の価値がどんどん下がっていくような気がします。
ベトナムにいると、アジア諸国の発展を目の当たりにすることも多く、危機感をひしひしと感じてしまいます。
アジア諸国から追われる立場にいる日本人が、この後どうやって自らの価値を維持し高めていくのか?難しいところですね。